私は人生において完璧や絶対はやめようと思ってる。
というのも2つとも自分の首を絞めかねるであろうから。
もともと完璧主義だったがそれを崩してみれば受容ができて耐性はできるものだ。
じゃあなにを軸に生きていくか、考えた時に
私はポップと楽しさ、やりがい、価値であろうなと私の中で答えは出た。
私の中のポップは初心童心、何事も否定せずにやってみてそれを何事も楽しむ道を考えることだと思う。
というのも、社会でも私生活でも煮詰まるところは必ず出てくるが
わりと初心童心で考えてみるとわりとそうでもなかったり問題視する必要はなかったりすると思う。それこそ原点回帰だ。
そんな言葉たちがあるくらいだから必要なんだろうなとは思う。
絶対こうだあうだは、対人する面で価値観がぶつかる部分である。
となったらそのぶつかりを防ぐのは難しい。
その対処法を考えるよりもイエスアンドベースでお互いを受容して行くべきだと思う。
そして自分が置かれる環境は変わらない人もいるかもしれないがほぼなにかしらに変わるに等しいと思う。
と、なると置かれた環境で悲観的になるより楽しんだ方がアイデアが膨らんで彩り豊かになるんではないかと思う。
人間は、吸収や成長を止めたらそれまでだと私は思うからいつまでも吸収して成長していきたい。
有限である時間を、いかに有意義に過ごすかではないか?
やりがいに関しては、やりがいがあった方が単純に頑張りやすいからだ。
明確化して、自分はここまでやればこうなんだ、が自他ともにわかりやすい。
今まで頑張る、ということを怠惰にしてきた私ある時なにかのきっかけで1日なにかしら吸収して学びを増やそうと考えて過ごした。
その結果こうやって昔の自分では考えられないほど 人間 になれてきた、凄まじい成長だと自負しかない。
責任を負うのが嫌で、頑張ることに対して何も思わなかったのに今では真逆だ。
それもこれも出会ってくれて人たちのおかげでもある。
からこそ、人間は人で変わることもあると考えると私は何かしらで人を変えていきたいし、
影響力がある人間でいたい。
この人との過ごした時間は無駄でないと思って欲しい。
反面教師も不本意だけどなきにしもあらず。
価値に関してはなにに重きをおくかの個々のフォーカスであるがなにかしらに価値を感じて動いてあるのであればとても良いと思う。
たまに自分のこうだ!自分の軸は芯はこうだ!とまとめたくなるから久しぶりに顔を出してみた。
誰かの背中をなにかしらで押されるような、
そんな人に、人格者に俺はなりたひ。